社民党の事務所にある書類を「断・捨・離」していたら、「原爆絵画展を成功させるために」のパンフレットがでてきました。
「平和寄席」の前は、八木橋デパートやニットーモールなどで、熊谷地区労と一緒に原爆絵画展をやっていました。
会場でカンパを募り、原水禁大会に市民を派遣していました。
原爆絵画展の会場で映画の上映するために、16ミリ映写技術の資格を取得しました。
「10フィート映画運動」で入手したフィルムで作られた、「にんげんをかえせ」を上映したり、原水禁・広島大会、長崎大会に、平和についての作文を募集して、子供たちを原水禁大会に派遣しました。
社民党と熊谷地区労の平和運動は、社民党の市会議員による「熊谷市非核平和都市宣言」、「熊谷市平和基金条例」の制定につながっていきました。
原爆絵画展から平和寄席に移行しても、平和寄席の会場で「ミニ原爆絵画展」や熊谷空襲を扱った「最後の空襲くまがや」や「おこりじぞう」映画の上映を行っていました。
平和寄席からの益金を「熊谷市平和基金」に寄付を行っています。
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つなぐ「平和」運動
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