1973年(昭和48年)1月30日発行(第4号)の社会新報熊谷版です。
八木橋デパート・陽堂商会・南大門・光陽社・清の家会館・ダイコー商事不動産の企業広告があります。
この時の編集者は、岩瀬ふみ子さんです。
熊谷総支部の書記長は黒田辰二さん(熊谷地区労の議長?もやっていたか!)も、岩瀬さんも繊維労連の組合員でした。
小林・中村・岩瀬市議会議員が熊谷市議会12定例議会報告をしています。
リケン労組熊谷支部の出身で社会党公認で市会議員もいました。
リケン労組は同盟所属の労働組合ですから、社会党所属の組織内議員がいること自体異例です。
当時の社会党が幅が広かったのか、リケン労組の幅が広かったのか、
その頃の熊谷地区労自体が総評・同盟も関係なく一緒に活動していたのでしょう。
畑やわら革新県知事が誕生して、6か月の成果を書いている「田並たねあき」氏の記事もあります。
私が入党したのは1975年ですので、入党した頃の聞いた話をもとに書いています。